24ジンバブエでの年末年始(ビクトリアフォールズとワンゲ国立公園)

 赴任した年の年末年始(1986/87年)は思いがけずビクトリアフォールズタウンとワンゲナショナルパークを同期数人らと訪れることになった。ビクトリアフォールズタウンとはビクトリアフォールズのジンバブエ側にある街でワンゲナショナルパークはその先にある野生動物で名が知れた国立公園である。もちろん、ザンビアに来る前は知る由もなかった。

 ルサカからUBZのバスでリビングストンへ、そして、ビクトリアフォールズを見学し、そのまま国境を越えてジンバブエ側、ビクトリアフォールズタウンにある、マッカサンホテルにチェックインした。このホテル、高級ではないがそこそこまともなホテルだった。

 二つ返事で一緒に行っただけなのでどう過ごすのかわからなかったが目的はそのホテルの隣にある、ビクトリアフォールズホテルの年越しディナーらしかった。出発前にネクタイを持っていくように言われていたので一応持っては来ていた。

 マッカサンホテルの屋上からはビクトリアフォールズが眺められる。時としてSLが弧を描いてビクトリアフォールズを背景に走ってくる様子は筆舌に尽くしがたい雄大さを兼ね備えていた。これが、黄昏時ともなればさらに素晴らしい。

 ビクトリアフォールズホテルはパステルカラーの意匠に彩られ古典様式のデザインが大英帝国植民地を連想させるに充分な演出だった。レストランへは指示どおりネクタイをしていった。一応要求を満たす範囲だが、それは、日本の青年、そんなパーティなどそれほど慣れているわけではなく、なんとなくぎこちない風貌であったに違いない。後から写真を見てもそう思った。

 こんなところにアジア人はほとんどいない。ジンバブエの白人か南アの白人、若しくはヨーロッパからだろう。そんな中に数人の日本人が混じって年越しパーティが催された。料理はブッフェスタイルでルサカのそれよりも豪華な印象だった。

 午前零時の少し前にジャンパンが配られ、午前零時とともに乾杯となった。新年は誰でもキスをしてもいいことらしい。何人かの白人のオバちゃんがキスしてきた。少年とでも思ったのだろう。

 新年が明けて1987年になった。これから、ワンゲナショナルパークへ1泊旅行に行くことになっていた。ロッジやそこまでの交通などマッカサンホテルで予約できた。そして、そこからマイクロバスで向かった。

 国立公園内にあるロッジまでは舗装した道程で快適だった。ロッジは弧を描いた2階建てのデザインでメンテが行き届いており部屋も共有スペースも快適だった。前庭にはプールがあり白人の子供たちがはしゃいでいた。

 ここで、他の隊員のグループと会った。考えることはみな同じ、ここから日本人団体様御一行となった。夕方と朝のサファリを申し込んでワンゲ国立公園の中を4輪駆動の車で走り回った。ここはザンビアと同じくサバンナとはいえブッシュや木々が多く見通しが利かない。したがって突如として野生動物にであることがある。

 実際問題、私にとってはサファリというのはここが初めてだった。野生動物をみるなど、ルサカの郊外に時々跳ねているインパラのような動物、リビングストンで見たザンベジ川のカバ以外は知らなかった。

 車を走らせていくと物見の塔がありその上へ登った。目の前に水場があり立派な象牙をもったゾウが何頭か水を飲みに来ていた。この国立公園はゾウが多いことでも有名だった。密漁からゾウを保護したことから周辺からこの公園へ移動してきたり、繁殖したりと頭数は増えていた。

(90年代になってから、頭数が増えすぎ間引いたり、象牙で傷つけあうので象牙を切り落としたり、象牙輸出を解禁したなどのニュースを聞いた)

 ときどきジンバブエ人の案内があそこに何々がいるというのだが、私には到底みることができなかった。私の目では大型の動物以外視野に入らなかった。翌朝もサファリを楽しんだ。キリン、シマウマ、イボイノシシなど可愛らしい動物もみられた。

 年末年始旅行でした。

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