23交通事故多し

 ザンビアでの生活の中では病気になるより交通事故あう確立が非常に高かった。後に交通事故はわが身にも降りかかることだが。知りえている範囲では、次のような事故があった。また、ザンビア以外で当時耳にした交通事故は、残念ながら全て死亡事故であった。広尾で研修を受けているときにセネガルで一人、ザンビアJICA事務所で暮らしているときにホンジュラスで二人が亡くなった。赴任する前年、1985年にはタンザニアのキリマンジャロではザンビア派遣の隊員を含む6人を乗せたバスが崖から転落し亡くなっている。

 当時は協力隊員の死亡率200分の1、アフリカに限っては100分の1の死亡率であった。交通事故遭遇率ははるかに高いに違いない。

ザンビア編:

【バイク転倒で骨折】
 協力隊員には似頃の足として50ccのバイクが貸与されていた。乗りなれた人も乗りなれないひともバイクを運転していた。50ccなので転んでも差ほど大きな怪我はしないものなのだが、乗りなれていない人が転倒すると時として骨折する。その場合はザンビアでは治療しない方針だったので、日本へ帰国となった。

【バス横転、そして迎えに行った車が横転
 これは二重事故であった。こんなことがあるものかと聞いたときに思ったが現実に起こった事故だった。

 この事故はキトウェからルサカへ向かうバスが横転して、乗っていた協力隊員が怪我をしたので、ルサカからその隊員を迎えに行き、戻る途中の夜道で、その車が横転して二重事故になった。

 幸いにも打撲や切り傷などだけで骨折者はでなかったが5名全員がナイロビへ治療のため送られた。

ザンビア以外の事故:

【キリマンジャロでの事故】
 協力隊員6人がキリマンジャロ登山を終え、バスで移動中、そのバスが崖から転落、ザンビア隊員を含む6人が一度に亡くなった。キリマンジャロは、
グリーンピースの創設者

【セネガルで車が横転】
 広尾で研修を受けているときに報告された事故である。隊員が一人で車を運転中、真っ直ぐな道を走っていて突然道を外れ、横転、運転していた隊員は死亡した。

【ホンジュラスで崖から車が転落】
 このニュースは、まだ住む場所が決まらないときにJICA事務所に住んでいたとき、夜の10時ごろだっただろうか、急にテレックスが動き始めアルファベットの文字を刻印しはじめた。その頃に入ってくることはなかったので、なんだろうと覗いてみるとJICA本部からの連絡で、ホンジュラスで隊員が乗った車が崖から転落、3人中2人死亡とあった。3人とも理数科教師隊員で会議のため出張した帰途とのこと。3人のうちの1人が車を運転していた。

 これらは1985-86年にかけての事故である。


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