14 HIVとザンビア人の認識

 事務所に長く暮らしているといろいろな情報が飛び込んでくる。あるとき、机の上に置いてあった資料に眼が止まった。それは、ザンビア大学医学部付属病院に関するもので、日本政府がプロジェクト方式技術協力で小児科病棟を無償で建設、その後、技術指導のため順天堂大学から医師が派遣されていた。

 私の眼に止まったのは新生児のHIV感染率の表だった。計算はされていなかったがHIV+と-の列があり、それを手計算してみたら、25%がHIVに感染していた。これは日本を出発する前に聞いていたことを確認したようだった。新生児が25%の感染率とすると、実際にはかなりの割合の感染者が存在することになる。

 ここアフリカでは性交渉に関して比較的自由度が高く、貞操観念という概念は無く、日本でも昨今そうだが、さらに衛生観念や性感染症に関しての予備知識が不足しているのが現状だった。そして、複数の相手と性交渉することが多いということをものの本で知っていたので、その後を考えただけでもぞっとした。

 日本人とて例外ではない。何人かはその犠牲になっている。カッパーベルト地帯へ赴任していたある人は一時帰国直後にB型肝炎を発症し、帰国したがその際の検査でHIV+と診断された。一時帰国の際にも健康診断は実施されているはずだが、スクリーニングにひかからなかったのだろうか。強制帰国となり数年後に他界している。

 またある人は帰国してからHIVプラスが判明し、それを苦に自らの命を絶ったと噂で聞いた。ザンビア人と結婚してしまったMは、再三忠告したが、数年後帰らぬ人となってしまった。その他にもルサカのレオパードヒルに眠っている。

ザンビア人にいたってはJICA事務所のアローニを除いてローカルスタッフ全てが私の帰国後、HIVにより他界、JICAが健康診断に使っていた病院の看護婦もやはり他界したと聞いた。この看護婦には採血をしてもらい、針の刺し方が下手で腕が充血したことがあったのでよく覚えている人だった。


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