15ルサカの日本人

 当時ザンビアに暮らしていた日本人はそれほど多くはなかった。概ね200人程度ではなかっただろうか。圧倒的にJICA・JOCV関係者がそのほとんどを占め、JOCVを除いてそのほとんどがルサカに住んでいた。どのような日本人が住んでいたかというと、政府関係者(日本大使館員、JICA職員、JICA専門家、協力隊員)、商社、ODAプロジェクト関係者(コンサルタンツ、建設会社など)、NGO関係者、宗教関係などであった。

 日本大使館員の大使、参事官、経済居力担当官2、領事担当、電信官、派遣員と非常にこじんまりとし大使館であった。そのうち外務省の職員は大使、参事官そして電信官、経済協力担当はそれぞれ北海道開発庁及び三菱重工からの出向、領事担当は自衛隊から出向、派遣員は休学中の学生だった。

 JICAザンビア事務所は、所長と職員、そしてJOCV調整員及び医療調整員が従事していた。JOCVに秘書隊員という職種があり、女性の隊員がJICA事務所で働いていた。これは数少ない文系の職種であった。

 その他JICA関係者ではJICA専門家が若干派遣されていた。ルサカでは通信専門家、パン製造専門家、中小企業専門家、カーッパーベルト地帯に淡水魚養殖の専門家(JOCV OB)などであった。

 民間からは、三菱商事、三井物産、丸紅などの商社が事務所を置いていた。商社はザンビアの鉱物資源やODAに係わる物品の取り扱いを行っていた。ODAプロジェクトに関連してメヘバ難民キャンプで学校建設に携わっていた清水建設やその設計監理に大建コンサルタンツの方々がルサカに滞在していた。

 当時JICA事務所の前に核燃料開発事業団の事務所があったが、私が赴任した当時は既に業務がほとんど終了していたようで、ある隊員がその事務所を管理しており何度かお邪魔した。報告書など調査関係資料が山済みに成っていた。

 このように非常に小さな日本人コミュニティーであり、何かあるとその噂は直ぐに伝わったものだ。特にJOCVの間ではその関係が非常に密だったので、一挙手一投足、お互いの注目を集めることになった。


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