51 ナイロビ再び、そしてハラレへ

■ナイロビ再び

 ザンビアに赴任するときにフライトが遅れて一泊したナイロビ、ルサカから思えば大都市の印象だった。ナイロビには国際機関HabitatやUNEPも本部事務所を置いているほどの大都会なのだ。

 ナイロビの語源は、マサイの言葉で”冷たい水のあるところ=泉”という意味。標高1800mの高地に位置する。それゆえ気候は日差しは強いものの熱帯高地特有の乾燥したサバンナ気候だ。Out of Africa アウト・オブ・アフリカの舞台がケニアであろう。

 ナイロビでの宿はセントラルマーケットに近いアンバサダーというホテルに投宿した。最初にフライトの遅れで一泊したときはインターコンチだったので、ホテルの格は比べるまでもなかったが、ここはここで非情に快適だった。インド洋コーストの旅の疲れからか体調を崩して熱を出し、しばらく身体を休めた。

■日本料理屋

 ナイロビの楽しみの一つは日本料理屋へ行くことだった。これは和食が恋しかったというわけではなく、アフリカの日本料理屋がどんなものか体験してみたかったからなのだ(ザンビアにはなかった)。ここへ来る前にモンバサで、連日”香港”という中華料理屋通いをしたのであるが、でも和食は和食、いいものだった。メニューはお昼時だったのでツナのフライ定食を食べた。

 ケニアでは、チャパティナ・カランガというインド料理とアフリカ料理がミックスしたようなケニア料理がごくごく一般的であり(もっと他にもあると思うけど)、これはどこで食べても美味しかったことをつけ加えておく。

 ところでまだ赤坂はあるのだろうか?

■ケニアJICA事務所

 JICAの在外事務所はJICAザンビア事務所しか知らないのでどんなものか訪れてみることにした。セレナホテルに近い近代的なビルに入居していた事務所はザンビアとは第一印象が大違いだった。数年前にJOCV駐在員事務所から格上げされた事務所とは違って当然だっただろう。それほどここケニアは東アフリカの玄関口としての重要性があったに違いない。(勝手な推測)

■ザンビア航空

 私のフライトはナイロビからはケニア航空を利用し、ハラレからはジンバブエ航空を利用するスケジュールになっていた。これは、各国の航空会社がどんなものか体験しようと思っていたので、フライトは全て異なる航空会社とした。ザンビア航空はルサカからダルエスサラームに既に利用していた。ザンジバルからはケニア航空だったかな。ラムからもそうかも知れない。

 それはさておき知人の航空券を買いにザンビア航空の事務所へ行った。カウンターがあり、ルサカまでの航空券購入を申請し、しばらくして航空券が発券された。このあたりの事務手続きのスムーズさは、ザンビアと大きく異なることを感じた。ルサカではかなり横柄で、直ぐに予約システムがダウンしたりだったから明日来てくれとよく言われたものだ。


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