50 モンバサからラム島へバスの旅

■モンバサ

 1988年3月、休暇を利用して内陸国ザンビアからタンザニアとケニアのインド洋沿岸を旅行した。ルサカから空路でダルエスサラーム、そしてザンジバル島、その後ここモンバサへ着いた。

 モンバサはインド洋に面するケニア第2の都市であり、ケニアの主要港湾であり、軍港であり、リゾート地として名を馳せていた。また、ナイロビを経由してウガンダへ通じる鉄道の終着駅でもある。

 歴史的には、アラブ・インドそしてポルトガル交易の中継地(奴隷の積出港でもあった)であり、他のインド洋沿岸都市同様アラブとイスラムの影響を色濃く残す。

 地理的にはモンバサは自然の要塞、島である。北へは橋がかかられているが、南へはフェリー(当時)であった。フェリー乗り場からは停泊中の艦船が目の当たりだった。

 ここでは、街中に2泊、リゾートエリア(ディアニビーチ)に1泊した。


■マリンディ

 午後にマリンディに着く。バス停からさほど遠くないホテルに泊まる。ホテルなど少ないからバスを降りて周りを見渡しホテルの看板を見つけ、聞いてみる。幸いにも部屋はあった。ベッドはこぎれいにメイクされ清潔感があった。珍しいのか子供が部屋を覗いていた。水だけのシャワーだったが直ぐにシャワーを浴びさっぱりしてから街へ散歩に出かけた。

 小さな街なので直ぐに散歩が終わってしまった。途中、市場にはパイナップルやマンゴが山積みにされ午後の陽を浴びていた。マリンディはダイビングの基地として知られていたが、そのときはそんな余裕はなく桟橋を夕方見に行ったにすぎない。

ラム島 Lamu Island到着

 モンバサを出て2日目の午後にラム島の入り口に着く。そしてそこから船でラム島に渡った。

 船着き場にはマングローブ材が並べられていた。これは住宅建材として利用されている。マングローブはシロアリに強くこの島の住宅は特に屋根・天井はほとんどがこの材を使用していた。かつてアラブ交易で栄えたこの島は重厚なドアが特徴で、ザンジバルとも共通する



■ラム島の街と宿

 ここのホテルも直ぐに決まった。2階建てのホテルとレストランが一緒になっている建物で細い路地を入った所にあった。部屋はダブルでマリンディよりも設備がしっかりしていた。洗い晒しの白いシーツが心地よかった。

 それほど大きくない島なのですぐに端まで直ぐに行き着いてしまう。鮮やかなブーゲンビリアが咲き乱れ、インド洋から吹き付ける海風がとても心地よかった。夕方海に面したカフェで砂糖たっぷりの紅茶を飲みながら海風を楽しんだ。

 島を散策していると子供がジャスミンの花をよく売りに来た。そのときはどういう意味かわからなかったがどうもベッド用らしい。

 ディナーはホテルに隣接するレストランで食べた。上の写真、ブーゲンビリアの下がレストランだった。ここではもちろん海の幸を食した。ロブスターと魚を焼いたものだっただろうか。それと海鮮スープだったかな。この辺り、何を食べても美味しかった記憶。


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