38 サーバント・アブラハムとコンパウンドのザンビア人

 週2回サーバントに掃除と選択をお願いしていた。サーバントの名前はアブラハム、ジンバブエのショナ族出身だった。前歯の上の歯が一本なかったので笑うとなにか愛嬌があった。

 彼としては週6日働いていた。それは彼を3人でシェアしていたからだ。私が引っ越したとき、彼は我が家専用だったが、毎日来てもらっても狭いフラットなのでやることがなくなってしまう。そこで、我が家を週2日にし、他の4日を他の二つのフラットに振り分けた。

 彼はカリンガリンガコンパウンドのさらに奥のコンパウンドに子供と奥さんの3人で住んでいた。最初はそこから毎日徒歩かバスで通ってきていたが、3人の家を回るため効率が悪く時々来ないこともあった。そこで、雇用者3人で話し合い、自転車(当時は中国製しか入手できなかった)を買って彼に貸与することにした。

 アブラハムはこのことに気をよくしたようだった。しかし、自転車の質が悪くよくパンクはするし、あちこち故障した。でも徒歩よりは全く機動力があり、よっぽどのことがない限り通ってきた。

 アブラハムが我がフラットに来る週の二日は、朝来たときにお金を渡して彼に買い物をお願いし、ザンビア料理を作ってもらい、ランチを彼と一緒に食べた。いつもながらザンビア人のつくる(彼はショナだが)ザンビア料理はとても美味しかった。肉、淡水魚の干物、小魚の干物と野菜(トマト、タマネギ、オクラなど)を煮込んだものとシマで食べる。味付けは基本的に塩だけとシンプルだった。

 彼の住んでいるコンパウンドへ行ったことがあるが、そこは新興住宅地よろしく緩やかな起伏のある土地で、ほとんどが新しい家々(日干し煉瓦造り)だった。周囲にはメイズが植えられ、丈がかなり成長してきていた。子供たちが珍しげに覗きにきた。こんなところへ外国人など来ないのだろう。

 彼の家は日干し煉瓦を積んで屋根にトタン板かスレートを乗せただけの簡素なつくりだった。道路や排水などは全くなく、人が通れば道に、水が流れれば水路にといった状況だった。トイレはもちろん穴を掘っただけ、水は近くの井戸(か水道?)まで汲みに行かなければならなかった。

 雨季になれば、自然の排水溝なので干し煉瓦造りの建物が壊れてしまうこともある。そんな状況では生活も安定しないので、これも雇っている他の二人と話し合って、コンクリートブロックで家を建てるように進めた。私が帰任するときに材料費分くらいの費用を渡してきたと思う。直接渡すと他に使い込む可能性もあったので、資金は雇用している他の隊員に預かってもらい、必要に応じて支出するようにした。アブラハムを共同で雇用していた隊員が建築隊員だったので彼はかなり面倒を見たようだ。

 風の便りでブロック造の家が出来たとも聞く。今はどういう生活をしているのだろうか?

 アブラハムの例にもれず、ルサカのコンパウンドは政府や援助資金が入らない場合、このような劣悪な住まいとなってしまう。当時も今もそれほど変わらないと思うが、田舎で暮らすより都市へ出てきたほうがまだ生活の糧があるようだ。アブラハムもそのようなことを言っていた。

 それゆえ、都市の人口はこのような社会増で益々膨れ上がり、立ち遅れた住宅戸数や生活インフラの遅れが急増する人口に整備が追いつかないという状況が続き収束しない。


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