32 ルサカでの余暇の過ごし方 | |
一般的にザンビアでの生活は娯楽が少なく且つ時間にゆとりがあった。これはJOCV参加まで日本の会社で働いていたことと比較するとこの余裕はまさに天国のような時間の流れであった。 概ねどのように過ごしていたかというと、気の合った仲間で食事に行くか、酒を飲み交わすか、スポーツなどをするか、などが余暇の過ごし方の代表だった。ルサカは地方と比べたら娯楽施設が揃っていたり、日本人も多かったので地方へ派遣された隊員は息詰まるとルサカに時々息抜きにやってきた。その逆もまた楽しいものだった。20代から30代にかけてエネルギー有り余る若者なのだからそれは当然だった。 ■テニスとスカッシュ ルサカではテニスと麻雀をよくした。テニスコートはルサカクラブやUNZAにあった。UNZAには何面もコートがあったがアスファルト舗装に砂をひいたような硬いコートで、よく滑った。でもここは空いていれば直ぐに使えた。時々、北朝鮮の学生と思われる二人連れのアジア人がコート沿いを散歩していた。 ルサカスポーツクラブはクレーのコートでこれは予約が必要だった。ここはいつも管理が行き届いていた。そういえばスカッシュコートもあった。見ていると差ほど難しくもなく跳ね返ったボールを打ち合いしているだけなのだが、実際やってみたら非常に激しいスポーツであっという間にびしょぬれになるほど汗をかいた。この汗はテニスどころの量ではなかった。 テニスラケットとボール、スカッシュのラケットとボールはカイロ通りにあったデューティーフリーに売っていた。 ■麻雀 麻雀は大使館職員やJICA専門家の家にパイと卓があり、メンバーが足りなくなるとよく誘いを受けた。学生時代に麻雀をしたがそれ以降ほとんどする機会がなかったが何度かやっているうちに思い出すようになった。そのうちに面子が揃うと卓を囲うようになった。こういう場合、大使館職員やJICA専門家のお宅で卓を囲んだときにはいつも美味しい食事を御馳走になった。 テニスは何度となくしたが、真剣みが足りなかったのだろうか、全く上手くならなかった。麻雀はプラスマイナス0程度だっただろうか。 ■ゴルフ ルサカには、ルサカゴルフクラブ、チャイナマゴルフクラブ、チランガゴルフクラブの3つのゴルフ場があった。ルサカゴルフクラブがコースの管理も行き届いており早朝は気持ち良かった。これらのゴルフ場は北ローデシア時代に作られ、当時にいたっていた。 物珍しさでクラブを借りて何回かプレーしたが、私のような何も知らない者が行くところではない。 ■映画 時々メジャーな映画が上映された。ルサカの街中に映画館があり、そういう時は仕事が終わってからバイクで駆けつけた。 ■ビデオ JICA事務所に、愛と青春の旅立ちとトップガンのビデオがあり(これ以外になかったと思う)、これらは何度も観た。 ■チランガ動物園と植物園 動物園にはブラックマンバとベンガルドラがいた。 植物園にはクスノキがあった。 ■読書 といってもそれほど本がなかった。アフリカに関係する日本語の本は片っ端から読んでみたが、それでも読みきれない数ではなかったし、特にザンビアに関してとなると、そんな本があったかどうか記憶にない。 任国外旅行を楽しみに地球の歩き方東アフリカ編(きっと最初の版だろう)を何度も読み返しイメージを膨らませたことはあった。 |
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