31ザンビア協力隊機関紙”PAMODZI”創刊号

 ザンビア派遣協力隊員向けに隊員有志が集まってマガジンを発行していた。ルサカにいる隊員はこの編集に何かと係わっており、私も例外ではなかった。

 パモジ(Pamodzi)という名称は、丁度私がお手伝いをはじめた頃、当時編集責任者であったO氏が編集会議でこれまでの名称(忘れてしまったが協力隊機関紙としてはあまり関係のない若しくは相応しくない名称でだったと思う)を変更しようと提案し、会議で参加者の合意を得てPAMODZI(ニヤンジャ語で協調といった意味だったと思う)とした。

 このような経緯からPamodzi第一号は私の任期中発行された。内容はそれぞれの隊員活動の紹介やザンビアの紹介(住んでいる都市や生活などの報告)を掲載していた。地方隊員はPamodziが郵送されてくることを楽しみにしていたとも聞いた。機関紙は協力隊員のみならずJICA専門家や大使館へも配布した。

 初代編集責任者が任期満了で帰国したあと、これまで編集に携わっていた関係もあり、私が2代目の編集責任者となった。特にこれまでとは変わることなく隊員の情報交換を主眼に編集し、定期的に発行するよう心がけた。

 当時は、地方からルサカへ出てきている隊員など臨時で参加してもらうなどして編集したこともあった。また、分業体制を取り、料理を担当してもらった女性隊員もいた。快く引き受けてもらい非常に感謝している。

 当時は以下のような流れで作成していた。

1)編集委員会
2)原稿依頼
3)版下原稿作成
4)印刷
5)製本
6)郵送

 当時はほとんどが手書き原稿だった。それを名称は忘れたが読み取る機械にかけ、しばらくすると印刷機にかけるための版下or印刷原稿?、なんというのだろうか?そこだけインクを通して紙に印字される用紙。ガリ版刷りといってもこの言葉がわかる人も少ないだろう。そんな手間をかけて作っていた。

 今だったらコピーかプリンターから打ち出せば簡単に出来上がってしまう。

 Pamodziに関して記憶に残っていることは、新任の日本大使に新年にあたっての言葉を依頼したこと(快く引き受けてもらった)、地方の農業隊員に野菜の作り方をお願いしたこと、JICA事務所の印刷機が故障してゲステットナーへ持ち込まなければならなくなったこと、印刷を引き取りに行った帰り、チャーチストリートで針金がバイクに巻き込み車輪がロックし、派手に転倒したこと(このときは印刷したパモジを背中のディパックに入れていてそれがクッションとなってかすり傷程度で済んだ)などである。

 また、隊員支援機材で要請していたキャノワードという、インクジェット(?)プリンタ付のワープロを版下作成に使い始めた。帰任の際、これは後任の編集責任者へ託した。

 最近、JOCV Zambia Netの掲示板を覗いたら、パモジが今も発行されているという内容の書き込みがあった。あれから十数年、パモジが続いていることが非常に嬉しかった。継続は力也かな。


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