26 第一回隊員総会準備

 何時頃からこういう話が出てきたのかはっきりしないが、1986年末に主食のミルミル値上げに伴う暴動が起こった際のどのように対応すればよいのかはっきり隊員間に認識がなかったことと、JICA事務所の対応が不明確だったことから、ザンビアにおける隊員間で自主的に話し合おうとしたのが始まりではないかと思う。もちろん、このような非常事態だけに限らずザンビアで青年海外協力隊として活動していくうえで重要な隊員派遣の要請の方法、住宅の確保、支援機材の要請、安全対策なども踏まえていたと思う。

 これは、これまで隊員がJICA事務所と直接話し合う機会が個人ベースでしかなかったことから、派遣隊員全体に波及しない若しくは偏りがあったということから、隊員総意としてJICA事務所と話しあう必要が生じ、このような組織の設立に繋がったと思う。

 実際、暴動が起こった時JICA事務所は状況を把握することもなく自宅待機を指示したようだが、キトウェの隊員たちは危険を感じてルサカへ退避した。これをJICA事務所長が勝手なことをしたと叱責したところから、安全対策についての議論の必要性が出てきた。

 また、支援機材の要請も本来なら各隊員が派遣されて、ある一定期間の間に要請する性格だったが、その要請書がJICA事務所に何ヶ月も塩漬けになっていることが少なからずあった。さらに、年度末になると予算消化の意味で身近な隊員に必要以上の要請書を提出させ帳尻を合わせていた。

 これは、本来必要と考え要請した隊員分が却下され、身近な隊員が予定以上の要請をするという不公平を是正することにあった。

 隊員の派遣要請では、事務局の方針もあったのだろうが住宅の確保がはっきりしないまま要請するケースがあり、派遣はされたものの住む場所がないということがあった。
 
 安全対策については、先にも説明したが緊急時にどう対応するかを認識しておくことで危険を回避することが出来る。連絡には電話事情の悪さから、今でこそあたりまえだろうが緊急連絡網にトランシーバーを使う提案もあった。

 私はルサカに住んでいたことや隊員機関紙の編集を任されていたことから隊員総会の準備に微力ながら参加した。取り上げられた議題は私の記憶の範囲でしかなく他にも重要なことが話し合われたと思う。残念ながら、私は準備には参加したが、交通事故の精密検査のため一時帰国していたので本会議には参加できなかった。

 後々聞いたところでは、これらの問題は、隊員総会で議論され、緊急連絡網には通信事業の悪いことを考慮し、トランシーバーが何人かに一人割り当てられ、支援機材の要請も締め切りを3ヶ月ごとにするなど対策がとられた。隊員の要請についても住宅が確保できていない組織への派遣は見送るか、若しくは、JICA事務所支払いにするなど柔軟な対応がされるようになったと聞いた。

 このように隊員が活動する上でその環境が向上したことは隊員総会を設立して隊員総意をJICA事務所と話し合ったことは有意義なものであったと考えられる。

 また、年に一度隊員が全員集まるということも隊員間の交流に充分に寄与したと思っている。



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