21主食のミルミル値上げによる暴動と軍の暴徒化

 赴任した年の暮れ、ノースミードのフラットに引っ越して間もない頃、主食のミルミル(メイズを粉に挽いた物)の値段が倍に値上げされた。このミルミルは国家の統制価格であったがIMFなどからの勧告に従って政府は実勢価格に近い値段へ変更した。これはザンビアの一般庶民生活にとっては非常に大きな打撃となりデモが発生し、そのデモがインド人商店などから略奪を始めた。最初はカッパーベルト地帯で火の手が上がり、ルサカへも飛び火したようであった。

 これに対して政府は非常事態宣言を発令し、軍を出動させデモの鎮圧にかかった。その日は土曜か日曜だったと記憶している。静かにフラットで過ごしていたら、JOCVの調整員が車でデモのことを伝えに来て、外出を控えるようにと言い残して次の隊員の家へ向かった。このときは電話がないので仕方がないのだろうが、それから連絡が取り難い遠隔地にいる隊員用に無線機が導入されたと思う。こういうところは非常に日本的だなーとそのとき思ったものだ。

 デモは直ぐに鎮圧され、政府は主食のミルミルの価格を元に戻すということで落ち着いた。しかし、デモの鎮圧に出動した軍が暴徒と化した。聞いた話であるが、キトウェで軍がデモの調査と称して各戸を回るのだが、特に外国人へは強盗のような状況だったということである。フル武装していうるえ酒が入っているので手がつけられなく、当然金品を無心していた。応対に出たザンビア人のサーバントはかなりの暴力を振るわれたようであった。日本人の家でも同様なことが起こっていた。

 この状況に直ぐに反応したのが米国大使館と英国高等弁務官事務所(ザンビアは旧植民地なのでこういう名称)であった。直ぐに調査官(海兵隊員ら)を派遣し米英人の保護に乗り出した。同時にザンビア政府へ強硬な抗議をしていた。一方、日本大使館は自衛隊から派遣されている館員がいるにもかかわらず、どこの日本大使館でもそうかもしれないが、現地に留まるよう指示がJICA事務所経由で出たが、カッパーベルト地帯の隊員らは危険を感じ独自の判断でルサカまで避難してきた。あろうことか、米英の調査官が事情を把握しルサカへ戻ったころ、日本大使館はある国連職員へこの事実を尋ねている。これはその国連職員から聞いたことだから事実なのだろうが、非常に不安を感じたものだ。


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