12米国大使館員宅でのパーティ

 ザンビアへ赴任してしばらく経った頃、宿無し生活が板についた頃といってもよいかもしれないが、同じ職場の隊員から彼が親しくしている米国大使館でパーティをするからとお誘いがあった。まだまだルサカ暮らしが浅い私にとっては興味津々二つ返事で受けることにした。

 しばらくして、米国政府の刻印がされた封筒に入った招待状が届けられ公式なパーティなのだと認識した次第。その招待状には、カジュアルと記されていたがどういう意味なのだろうかと同僚に尋ねたところ、これはネクタイをしていくという意味だとわかった。そのほかにも、ホワイトタイ、ブラックタイがあると聞かされた。ホワイトタイは、タキシード、ブラックタイは燕尾服を着用だとのこと。女性の場合、ブラックタイは肩が出たドレス、ホワイトタイがイブニングドレスに白の手袋と記憶している。

 フォーマリティに関して何ら知識を持ち合わせていなかった私にはカルチャーショックであり何事も初めてなのと好奇心がとりあえずその場を取り繕ったようだった。

パーティは大使館員の家で行われ、ルサカ在住の外交官が招待されていた。立食形式なので招待客と話をするわけだが、あたりまえだけど、語学力がないとコミュニケーションが成立しない。日本人だけでかたまっているわけにもいかずいろいろな人と会話するように挑戦するのだけど、ここでもまた語学力のなさに落胆した。

 当時ザンビアは親ソ政権であったため主要な東側諸国の大使館がルサカに置かれていた。そのため招待客もそういった人たちがきていた。ソ連の外交官が来ていたかどうか記憶にないが、東ドイツの外交官は記憶にある。30代と思しき外交官で結婚間際らしく新妻を同伴していた。たどたどしい私の英語でお話をしたわけだが、その程度しか話ができなかった。しかし、彼の丁寧な人柄はとても印象に残っている。

 その数年後ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統合され、旧東ドイツの外交官は全て追放されたというニュースを聞き、彼らはどうしたのだろうかと思ったものだ。


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