10公共事業省建築局


私の配属先は公共事業省建築局という日本でいえば旧建設省と同じような中央政府の組織だったが、現業を担当する組織だった。英語名称は、Ministry of Works and Supply, Buildings Department 、この政府組織はザンビアが英国から独立する以前の北ローデシア植民地政府の組織をそのまま受け継いた。建築局は主に政府系の建物の設計を担当しており、建築物の種類、例えば事務所ビルや教育施設、また、住宅と課によって担当が分かれていた。私の配属された設計四課は主に庁舎の増築を担当していた。

建築局の組織は一番上位に局長(Director)、局次長(Deputy Director)そして、部長(Chief Architect)、その下位に設計課長、そして建築士、アシスタントという構成であった。局長、局次長、部長まではザンビア人が占め、実務レベルである課長から建築士は外国人コントラクトやODAによる派遣などであった。

当時、ザンビアは親ソであったのでロシア・東欧諸国の技術者やロシア・東欧へ留学したザンビア人が多かった。もちろん旧宗主国英国への留学者もいた。公共事業省次官はケンブリッジで学んだザンビア人が就いていた。

私の任期中には、前任者のときから携わっていた最高裁判所増築プロジェクト、外務省増築プロジェクト、国連機関合同事務所ビル、新首相官邸、軍人住宅等のプロジェクトがあった。何れにしろ2年という任期中には終了したプロジェクトはなかった。予算の関係もあったのだろう、建設工事の進捗はスローペースだった。

公共事業省自体の事務所は、仮設事務所のような平屋プレハブ建て、隣接するRC造の立派な国防省のビルとはその趣の違いは歴然としていたが、きっとこの建物も北ローデシア政府時代からの継承なのだろう、現場事務所的な事務所は愛着を感じていた。隣の道路局や都市計画局も同じような建物だった。

職務上関わっている建設現場へ出向くのだが、ランドスケープは最後の最後、特に必要不可欠というものでもないので、そちらより建築中の建物を見て歩いた。前任者は大統領官邸を担当していたが、許可の関係なのか私は引き継がなかった。よって大統領官邸には入っていないが、新首相官邸のプロジェクトがあり、建築中の官邸を見て回った。水周りは全てイタリア製の金ぴか金具とこちらもイタリア製のタイルが用意されていた。また、大きなバスタブが据えられ、こちらがメインでこちらがゲスト用とバスルームがあった。

国連事務所ビルは、予算が支出されているにも拘わらず、プロジェクトが進んでいなかったので、国連よりMITを出た建築家が派遣されてきていた。当時、まだ設計の段階で、私はサイトプラン案を描いた。場所はテレビ局の隣の空き地が予定されていた。

最高裁判所増築プロジェクトでは、工事がかなり進んでいたので駐車場の設計とその周辺のランドスケープデザインを担当した。一日もあれば出来てしまう内容だったが。その際、現場に行ってほぼ完成していた法廷と被告人が入れられる部屋(牢獄のようだった)をみせてもらった。被告人はここからこの廊下を通って法廷に入るのだと親切なイラク人の現場監督が説明してくれた。当時コントラクターはイラク系建設会社だったのだろうか、よく耳にした。

外務省の増築プロジェクトは設計から建設開始までかなり早く進んだと思う。設計はベルギー人の建築士が担当していた。


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