06調整員宅留守番


ドミトリーに住んでいた頃、丁度と調整員がしばらく健康管理休暇で留守にするというので、宿無しの私に留守番役の白羽の矢が立ち、豪邸を留守番することになった。これまで、こんな大きな家には住んだことがないし、しかも、お手伝い、庭師付ときている。それに車もあった。まだこの頃はバイクがなかったので何度となく車で通勤した。

この家はカブロンガという英国植民地時代に英国人用として開発された居住区にあり、この一帯がみんなこのような大きな家で高い塀がめぐらされていた。夜にはガードマンがきて夜中中監視していることになっていた。近くにはカウンダ大統領婦人が経営しているという大きなスーパーマーケットがあり、ほとんどの日曜生活用品が手に入った。このころはまだ南アからの物資が潤沢に入っており、差ほど買い物には苦労しなかった。このとき政治と経済は別物なのだと思うようになった。

この家は日本流で言えば3LDK平屋建て、サーバントクオーター(お手伝いさん用の住居)付の構成だった。庭が広いので一部を家庭菜園にして野菜を栽培していた。自給はここでは重要なことだ。この地区ではこの家は差ほど大きな家ではなさそう印象だった。

調整員は大きなシェパード2匹を飼っていた。番犬ということであったが、どうも人になつきすぎて、その役目を果たせないではと感じた。庭にはアボカドの木があり、たわわにアボカドがなっていた。これをもいで少し置いておくと柔らかくなり、スライスして醤油をつけて食べると刺身そのものの味になった。

食事はお手伝いのおばさんにザンビア料理(実はおばさんは南ア出身)を作ってもらった。こんな楽な暮らしが出来るとは夢にも思っていなかった。でもこれくらいじゃないと、協力隊以外この地では暮らしていけないのだろう。生活レベルの維持は非常に重要だと認識した。

こんな暮らしが続くとドミトリーへはなかなか戻りづらくなるのが人間、しばらくここを根城にしていたような記憶だ。


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