02ザンビア赴任準備、そしてルサカ着

派遣前訓練期間中に机上で概論的な知識を詰め込んだとはいえまったく文化が異なる国への赴任なることやコミュニケーションの問題等、内心、出発前は非常に緊張した。帰省中、県庁と本籍地のある役場へ挨拶に行ったり、友人・知人などが主催してくれた歓送会へ出席したり、また、特別親しくしていた人に会うため大阪まで足を運んだり、ザンビアへ携行する荷物の選定などあっという間に時間は過ぎ去っていった。

東京に住んでいたとき(西池袋の友人の下宿に居候をしていた)の荷物は、派遣前訓練に入る前に実家へ送り返していたので、この作業は省けたが、ザンビア赴任にあたっての荷づくりは、現地情報が限定的であったことから、考えれば考えるほど荷物が増えそうだったので考え方を改めた。それは、生活必需品の基本を現地調達することであった。よって荷物は最低限とした。

赴任前に事務局で旅行代理店から別送品の送り方についてオリエンテーションがあり、それなりの支度金ももらっていたが別送品は送らないことにした。日本から持っていけばそれはそれでいいのだが、ザンビアで暮らすのだからできるだけザンビアで調達しようと考えていた。ザンビアで入手不可能と思われた短波ラジオは購入したが、カメラは所有しているCanon AE-1Pとレンズをそのまま携行し、リバーサルフィルムは何本か購入した。衣類、文房具、辞書類も然り、現状のまま携行した。それでも、1983年にヨーロッパ旅行したときに使っていたバックバックとアルミケース一つという荷物になった。

1986年8月初旬、大学の研究室の同期に見送られながらザンビア昭和61年1次隊派遣同期15名(内女性2名)と成田空港(現在の第一ターミナル)から英国航空で一路ロンドンへ飛び立った。当時はまだソ連上空を飛ぶことが許されておらずアンカレッジ経由でのヨーロッパ航路であった。途中、植村直己が遭難したマッキンレーが左手に鮮やかに見えた。ロンドン・ヒースローには翌日の朝に到着、この空港は1983年に初めての外国を経験したときに降り立った空港であったが、最初でも2回目でも変わらず緊張していた。

ナイロビへのフライトはその日の夜だったのでロンドンでは仮眠のためのデイユースホテルが予約されていた。そのホテルへはバスで行くことになっていたが、なかなか来ない。そのうちに緊張感がほぐれ、ロンドン地下鉄の一日券を買いに行って大きなミスをしてしまった。パスポートを入れた鞄を置き忘れたのである。しかし、これは幸いにも直ぐに解決した。置き忘れた場所である観光案内所へに行ったら、職員の人が預かっていた。先行き思いやられるロンドンだった。

デイユースのホテルでシャワーを浴び汗を流したが、このときの長旅など後から思えば可愛いものだった。せっかくロンドンへ来たのだからと市内へ足を伸ばし、1983年にも訪れたロンドン大学(ラッセルスクエア界隈の大学街、UCLやSOAS)へ行ってみることにした。ホテルのレセプションで市内への行き方を聞いた。わかったつもりだったが、どうも理解していなかったようでなかなかバス停には辿り着けなかった。バスが通りかかったので飛び乗り、地下鉄駅で乗り換えてトッテンハムコートロードで降り、以前の記憶を頼りにロンドン大学界隈まで歩いた。

ヒースロー空港からのナイロビ行き英国航空のフライトが遅れに遅れ、ナイロビでの乗り継ぎ便であるザンビア航空に乗れないことになり、ナイロビに一泊することになった。ナイロビには午後に到着した。初めてのアフリカでの入国審査、これまた緊張の連続だった。係員はなにかとお金を巻き上げようとあの手この手でやってくる。関所のようなもので何がしかを、ボールペン一本でも、手に入れるまではしつこい、こちらもこれからアフリカ生活なのでまともに相手はしていられない、NOと言ったらそれだけだった、あーこれがアフリカのコミュニケーションなのかと思った。通関の後、全員ミニバスでインターコンチネンタルホテルへ向かった。この予定変更でナイロビに一泊することになったので、それはそれでチャンスとばかりナイロビ市内を駆け足で散策した。

ザンビア航空のB737がルサカ空港に到着したのは成田を出発して足掛け3日目であった。ナイロビからのルサカへのフライトも遅れて、ザンビアの首都ルサカに到着したのは日没後であった。暗闇の中、眩しいサーチライトに照らされながらタラップを降り、深呼吸した。あーこれがザンビアの空気なのかと、熱帯高地特有の乾燥した気候で清々しかった。そして、ザンビアにとうとう到着したという実感をゆっくりと噛締めた。この季節のザンビアは乾季の終わりにあたり、南半球であることや熱帯高地から8月ながら爽やかな気候だった。ここでの入国審査は出迎えの調整員のおかげですんなりと入国し、そのまま、バンに分乗し真っ暗闇の中をJICA事務所内にあるドミトリーへ直行した。

翌朝、目が覚めたら澄み切った青空の広がる緑濃いルサカが視野に入った、これがザンビアかと実感したものだ。事務所の前がザンビア大学のキャンパス入口でブーゲンビリアの赤紫色の花が咲き乱れている素晴らしいランドスケープが事務所のテラスから眺望できた。

着任初日、JICA事務所のテラスに卓球台を置き、テーブルとして使った。そして、同期15名とともにオリエンテーションの席に着いた。見ること、聞くこと、移動にしても食事にしても何もかも日本ともヨーロッパとも大違いで一つ一つが初めてのことことばかりで新鮮だった。 座学で概論は学んでいるものの、目の前に広がる現実の世界は認識を改めさせるに十分であった。


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